被災地への炊き出し報告

入善町商工会青年部 部長から

被災地への炊き出しについて

報告書が届きましたので、掲載させていただきます。

 

 

 

登米市炊出しを終えて       入善町商工会青年部 部長 中瀬淳哉

 

5月2日、米澤入善町長や松澤議長、竹島課長をはじめとする入善町の皆様、

そして扇原商工会長をはじめとする商工会の皆様に見送られながら出発した。

 

途中、食事・休憩をしながら、7時間程度かかり仙台市に到着、ホテルに着いた。

 

ここで、部員から声が上がる。「全然普通やな~。」

ライフラインは復旧しているし、

道路も車が普通に走れる状態、道行く人もいたって普通だった。

 

実際、私たちがニュースや新聞で得る情報では、

東北全部が被災していると思っていたので、非常に驚いた。

 

しかし、ホテルにチェックインしてすぐに行った仙台港で言葉を失った。

 

 

 

  

がれきの山に、車が大破、そして大きな船が陸にあがっていた

ただただ、茫然とするしかなかった―。

 

 

 

仙台市内で食事をして、ホテルに帰った。

食事をした定食屋の従業員や、ホテルの従業員と会話をすると、

やっぱり親族が被災していたり、知り合いといまだに連絡が

とれなかったりという声を聞いた。 でも、合わせて

 

そんなことを言っていてもしょうがないでしょ。」

 

という声も聞いた。

 

 

次の日、5月3日いよいよ登米市炊出しの日だ。

9時半に登米市の方と待ち合わせをしていたので、

7時に出発し途中松島を通過した。

 

日本三景の1つ松島が壊滅的だということも聞いていたのだが、

きれいな景色だった。

 

 

周りのお土産屋さんは結構やられていたところもあったようだ。

 

 

その後、内陸を走って登米市へ向かう。

内陸では、地震の影響により、一般道は道がアップダウンしていたり、

住宅の瓦がやられていたりしていた。

 

9:30に登米市米山総合支所に到着。

布施登米市長他8名に出迎えをうける。

 

その際、今回の震災発生からの経緯などを伺う。それによると、

 

・南三陸町から津波発生直後に着の身着のまま避難されてきた方ばかり。

 

・海沿いの方が多く、皆さんタンス預金しておられて、

 手元にお金が無い方が多い。

 

・当初は、8000人近くおられたが、現在では、自宅に戻られた方や

 親戚・知人を頼って行かれた方が多く、800人弱に減った。

 

・地震発生直後から物資や義援金を提供した入善町に非常に感謝している。

 

ということだった。

 

私たちも今日ここに至った経緯をお話させていただく―。

 

 

その後、登米市職員の方に先導してもらい、旧善王寺小学校に向かう。

 

そこには、50人程度の方が避難しておられる。

 

調理室をお借りしてラーメン作りの準備に取り掛かった。

そこで、登米市の広報の方に取材を受ける。

荷物を下ろして、津山若者総合体育館へ向かう。

 

津山若者総合体育館には250人程度の方が避難しておられた。

まず、体育館で打ち合わせをさせていただいたが、

隣の方とは隙間も無く、体育館中、布団や荷物であふれていた。

 

グラウンドでタープを張り、そちらで準備をさせていただく―。

 

 

 

 

  

 

お湯が沸くまでの間、子どもたちと遊んだり、

被災された方に話を聞いたりした。

  

・地震自体が5分や10分という長い時間が続いていた。

 その後、すぐに外に出ると、津波が来ているのが

 分かったからそのまま逃げた。

 

 ・外に出ていたから分かったが、家の中にいた人は

  助からなかっただろう。

 

 ・2階へ行けば大丈夫と思った人も、ほとんど助かってはいないだろう。

 

 ・そのため、若者もかなり亡くなっている。

 

 ・仮設住居へ入るのにもお金がかかるので

  (光熱費など)どうすればよいのか。

 

ということだった。

 

 

いろいろな方が、自分たちのラーメン作りを見て話しかけてきた。

 

このラーメンのことや入善町のこと、

自分の父や母が入善町出身だという方、

池田水産の船に乗っていたという方など、

入善町にゆかりのある方もいた。 皆さん口々に

 

うれしいわぁ。楽しみにしているね。」

 

と声をかけてくださった。

 

 

いよいよお湯が沸き、ラーメンを作るという段階で、

被災者に今回の経緯を説明してくれとのことだったので、

体育館で説明をする。

その際、私たちが来なかった際の

昼食が置かれていたが、パンと常温の牛乳だった。

ずっとこのような感じらしい。

 

 

さて、いよいよラーメン作りの開始―。

 

毎食、食事当番が決まっているらしく、その当番の方々が盛付や

運搬を手伝ってくれた。

みんな明るく優しい方々だった。

ラーメンを食べ終わった方々が

 

ありがとう。おいしかったよ。」

 

と言ってくれた。また、子どもたちもとても喜んでくれた

 

 

ほっとした

 

 

 

片づけを終了し最後に全員で体育館へ。

 

皆様にお礼をいうと一斉に拍手が上がった。

こみあげてくるものがあった―。

 

 

その後、登米市職員の方にお礼を言って、登米市を後にする。

登米ICから入り、途中石巻市で高速を降りて、海沿いへ。

 

 

 

 

 

 

本当に壊滅的だった。言葉も出ない。

津波のすごさをまざまざと見せつけられた。

がれきの山で道もなんとか通ることが出来るといったところだった。

信号も動いていなく、警察が誘導していた。(愛知県警)

 

 

一体復興には何年かかるのだろう。

 

 

しかし、この海沿いから3km内陸に入った場所では

すでに人が普通に生活していた。

 

飲食チェーンも営業していたし、ガソリンも普通に言っていた。

しかし、どこを見てもがれきの山が目に入った。 その中、

 

一生懸命生活している被災地の人々の力強さを感じた―

 

 

 

 

帰りは帰省ラッシュにもあって、到着が深夜の1時半だった。

 

 

今回の炊出しを通じて感じたことだが、

 

やはり私たちが得ることが出来る情報は、

ニュースや新聞でしかなく、実際の状況が入ってこない

 

私たちも今回行くにあたり、

「本当に大丈夫だろうか?」 と思っていた。

 

ライフラインは大丈夫か?

また被災地の人たちの心は大丈夫か?

自分たちが行っても本当にいいのだろうか?

と不安だらけだった。

 

しかし、実際に行ってみると、

被災地の方々は本当に喜んでくれたし

ライフラインも海岸沿い以外は大丈夫だった。

 

 

そして何より自然の脅威をまざまざと感じ

被災地の人たちの本当の苦労を聞くことが出来た

 

 

おそらくこの復興は何年も続くだろう。

 

 

この先、私たちの出来ることがあるのならば、

ぜひ協力をしたいと思った。

 

 

 

終わりに、

  

今回の炊出しで多くの方から支援、

激励の言葉をいただきました。 本当にありがとうございました。

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